tokuou's blog

思いついたら鮮度を失う前にここに打つ

振り返り

2014年と言わず、ここ数年を振り返ります。読書しているとふと昔自分が付けた日記の内容を思い出して、パラパラと見返していました。まあ、みくしーなんですけど。

大学時代の僕の文章は調子に乗ってみっともなかったり、鬱っぽくて哲学的だったりしました。方向性はあの頃からコロコロと変わっていて、今も変わり続けているのかな。昔とある友人が「軸はすごく太くて、中は空洞。あちらこちら動き回っているけれど、その軌道が描いているのは1本の軸」というかっこいい理念を語っていましたが、自分はそんな軸すら持ち合わせていないブレる奴でしたし、今もそんな奴です。

ゆっくり直進したり、立ち止まったり。右に曲がったり、左に曲がったり。たまに引き返してみたり。気がつくと、その轍は自分を中心とした円になっている。 円を突き出て遠くへ行く事はない。ある一定の境界線から、先に進む事が出来ない。まるで中心に杭が打たれ、杭と自分とが紐で結びつけられているかのように。その紐は断ち切ろうと思えば容易いけれども、断ち切る勇気もなければ、意志もない。エンドレスに回り続けて、いずれ力尽き、死ぬ。そんな未来が目に浮かぶ。嫌だけれども、試行錯誤はするだろうけれども、結局円の外へ行く事は出来ない。堂々巡りが続く人生。

こんなことを6年前に書いていました。ある意味僕のブレない理念で、覆したいものでもあります。今「嫌われる勇気」というアドラー心理学に関する本を読んでいます。読んでいて、こんなこと書いてたなあと思って日記を探してみたのが、振り返りのきっかけでした。

何事も形に残しておくと、こんなふうに見返す機会になるんだなと。見返すことに何の意味があるのかと言えば、「過去にすがりつくことになど何の意味もない」とアドラーは言いそうですが、僕はこうして読み返してみて、今と昔を比べてみて、身が引き締まる思いです。闘う相手が己自身だからこそ、こうした振り返りとそれを踏まえた方向性の設定は大事なのかなと思います。

さて、今年も残りあとわずかです。6年前の言葉を借りるなら、右に曲がったり左に曲がったりしたけれど、結局円の外へ行く事は出来なかった1年でした。ただ、この日記には小恥ずかしい続きの文章がありまして、

その中で幸せに生きようとするなら、僕は過程を大事にしたい。たとえ行き詰まり、幾度となく立ち止まったとしても、最後にはまた歩き出したい。結果は同じだとわかっていても、それでも歩き続けたい。歩を進めることが進歩ならば、僕は進歩し続けてみせよう。

これもまたブレないところなのかなと。繰り返しじゃなく積み重ね。来年もそんな自分を貫いて、自分らしくいれたらなと思う大晦日でした。皆さま、よいお年を。