tokuou's blog

思いついたら鮮度を失う前にここに打つ

仕事観について

じぶんにとって

今やっていることがじぶんにとって仕事なのか、最近ふと疑問に感じてしまう。勤め出して3年目からの想いとして(いま3年目)、ルーティンは仕事とは思わないことにしている。ルーティンを大事にしないということではなく、それは当然に行うべきものであり、仕事とはただそれを淡々とこなすことではないと考えるからだ。たとえば業務改善やマニュアルづくりといった、じぶんがやることでななめ上の結果をもたらすことが仕事であり、そしてじぶんはもっと仕事がしたいと思っている。

歯車

公務員という職業柄、入った当初から「お前の代わりは誰にでも務まるんだぞ」と聞かされてきた。その言葉にずっと違和感を感じてきたが、それが何だったのか、下記のニュースを見て喉につかえていたものが取れた気がした。以下、引用。

bizmakoto.jp/makoto/spv/1211/30/news010_3.html

 なので仕事を見直すと、市民に影響が出るものが多くて、市民からのクレームや議会からの説明要求が職員にはものすごい心理的な負担になります。頑張っても別に報われないですから。そのために目的ではなく、とにかくもめないような手段やプロセスを優先するという、本末転倒の結果がよくあります。

局部的な抜粋になるのでここだけを見てもし悪く解釈してしまう人がいるなら、全体を見てほしいということをまず述べておく。この現千葉市長の熊谷氏の話を読んで、脱歯車なんだと思った。こう決まっているからこうやるの理論でやると確かに誰でも代えは利く。そしてそれは根深く浸透してしまっている理論なんだと思う。頑張っても報われない、むしろ頑張ろうとすればするほどその労力も、心理的負担ものしかかってくる。そしてそのことがルーティンに支障をもたらしてくる。(今述べたのは若手職員としての目線であることを付け添えておく。)悪循環に陥り、もがけばもがくほど泥沼にはまっていき、結局は元の鞘に収まる。特異なことをしようとしたじぶんを後悔する。じぶんは平凡な一公務員なんだというレッテルを再認識をする。

じぶんがしたい

自虐が過ぎたけど、組織社会において浸透してしまっている体制の中で、出る杭になろうとするのは非常に勇気も労力もいることだと思う。それでもやっぱりじぶんにとって仕事とは、いやじぶんがしたい仕事とはルーティンだけじゃなく、そのルーティンをよりよくすることなんだと思う。

今していること

そう考えると、いまのじぶんはルーティンすらもまともにこなせていない最低な職員だと思う。もっと真摯にルーティンと向き合い、期限を守り、ミスのない仕上がりにすることを徹底する。それができてようやくじぶんのしたい仕事に手を出すべきだと思うし、それができていなければ環境に文句は言えない。もっと立派な人間になろうと思った今日この頃でした。