tokuou's blog

思いついたら鮮度を失う前にここに打つ

レーゾンデートル

生きる目的=生きる手段

生きる目的=生きる手段がいいなと大学時代よく考えていた。たとえばサッカーで一躍時の人になるために、サッカー選手としてお金を稼ぎながら頑張るというふうに。生きる目的を達成するための手段(生きがい)=生きるための手段(仕事)になっている状態といったほうが的確かもしれない。

けれどサッカー選手になれるのはほんの一握りの人間なので、その一握りになれなかった者が、もし目的を変えずに極限まで近づけるようにと努力していくことになれば、当然にその手段と生きるための手段は食い違ってくることになる。僕が危惧しているのは、この場合において仕事を疎かにされることである。

生きがいはふたつもいらない

仕事のほかに熱を入れるものがあるとそっちに時間を費やしたい余り、仕事中にそっちのことを考えたり、さらに職場をリフレッシュや気分転換の場にしたりする恐れがある。たとえば漫画を読むことが生きがいの人間なら、「あー早く帰って◯◯読みたいー…」とか、「昨日は徹夜で△△を読んだから眠たいなー…今日の仕事は適当にやり過ごそうー」みたいなふうになる。そんなことを考えながら仕事をしている人間と、逆にその仕事を生きがいとして頑張っている人間との間に頑張り度の差が生まれるのは仕方のないことだろう。それでいいとは必ずしも言えないが、ではだからと言って「生きがいを変えろ」とは言えない。そんな権限は誰にもない。

自分の思い

どっちも中途半端にするくらいなら、仕事を生きがいにすればいいんでない?と思ってしまうわけです。そしたら自分も会社もwin-winなわけで。けどなかなかそうはいかないんですよね。人間ってわからない。

生きがい×仕事=相乗効果

極端な話だけど、方向性はどうであれ熱を入れるものがあれば、その内容をそのまま仕事に活かせるかは別として、姿勢やエッセンスは活かせるかもしれない。そこに妥協点を求めるのが今回の提案である。何より、活かそうと考えること自体が仕事に熱を入れることへの第一歩なのだから。

今の職場で

ここまでの話はあくまで民間企業の話で、公務員となるとそうはいかないと思っている。仕事の内容面、待遇面から見て、公務員は替えがきくが替えられない、手を抜こうと思えば思うほど抜ける、そして被害を被るのは会社そのものでなく、会社を支えるお客様という、悪循環なシステムにより成り立っていると思う故にである。

だからこそ、存在価値が必要になってくる。今自分は、替えのきかない人間になるために頑張っている。これからも仕事を生きがいとし、成長を止めないよう走り続ける。それがこの悪循環システムに立ち向かうための唯一の方法であると信じている。